大阪市が検討を進めている「個別指導教室」についての「要請書」
(2014年6月17日、提出しました


子ども抽出排除、分断萎縮をもたらす「個別指導教室」ではなく
同じ社会を築く仲間として一人一人に寄りそう教育を

――「個別指導教室」は、残されたクラスの児童生徒にも喪失感をもたらします ――


大 阪 市 長   橋 下   徹 殿
大阪市教育長  山 本 晋 次 殿

2014年6月17日
発言する保護者ネットワーク from 大阪



 私たち保護者は、今、現に、荒れている学校があることも、多くの教室で学級崩壊が起こっていることも知っています。これまでも、これらを放置せずに何か対策を立ててほしいと考えてきました。
 しかし、今般、大阪市教育委員会が公表した、小中学生を対象とした「個別指導教室(仮称)」の方向性には、強い違和感を感じています。
 この方向性は、子どもの育ちに寄りそうものなのでしょうか。いったい、誰のためになる施策なのでしょうか。


「個別指導教室」ではなく「個別指導施設」


 「個別指導教室(仮称)」は、「教室」という呼び名があえてつけられているようですが、実態としては「学校」や「教室」とはかけ離れた「個別指導施設」だと思われます。問題行動のある児童・生徒が在籍している学校から、レベルに応じて彼らを抽出し、別の施設に集めるというものです。ここに大きな問題があると思います。


子どもの未来にツケを残す方法

 私たちは、その時、その1年間、授業が成立し、教室の平穏が保たれればいいと考えているのではありません。私たちが思い悩み、心配しているのは、今、この時の子どものことであり、同時に子どもたちの未来のことでもあるのです。
 保護者は子どもたちに、学校で、勉強だけでなく社会に出て生きていく助けになる多くの力を身につけてほしいと願っています。
 荒れた教室から、問題のある誰かを排除することによって得られる平穏や授業の効率。しかし、静かに勉強できる環境を得るために、教室に残った子どもたちが失うものを想像してください。クラス全体の敗北感や挫折感、教師や学校に対する信頼の喪失、あるいは排除することへの慣れ、そういう経験が、子どもの育ちにプラスになるとはとても思えません。
 なぜならば、そのとき排除される子どもたちも、教室に残る子どもたちも、これから先、同じ社会に出て、同じ時代を生きていくからです。小中学校という幼い時期の、こうしたイージーなやり方による分断の経験は、大人になった彼らが、手を取り合って社会を築く力を阻害するでしょう。そのことが、社会全体を無能にし、社会の質を落とすことにもつながるでしょう。
 教育は、子どもの未来を育むものであってほしい。私たち保護者はそう願っています。


苦しい指導の背景

 子どもたちは、さまざまな背景を背負って学校に通っています。荒れる子どもたちの背景には、いわゆる「しんどい家庭」があったり、複雑な家族事情があったりします。そして、荒れる子どもの数は、大阪の経済状況を反映するかのように増えてきています。
 多くの教育現場では、今このときも、1人1人の子どもの背景ごと向き合う粘り強い指導が続いていると思います。しかし、こうした指導には、時間も人の手もかかります。今、問題なのは、圧倒的に人の手が足りていないことではないのでしょうか。
 近年、大阪市立中学校では、人員確保ができずに、教頭が理科などの科目授業を担当したり、科目担任を学期が始まってから遅れて確保したりするケースが相次いでいます。また、非正規雇用の教員が増え続けている一方で、大阪市の教員志望者数は減り続けています。
 橋下市長は、「1人の子に教師がかかりっきりになって授業がすすまない」「学校ごとに2人も3人も加配(人員)をつけるのは無理」と述べておられますが(2014/6/10大阪市教育委員会後の囲み会見)、「個別指導教室」という施設で、1人につき数人の指導員がつく体制を考えているのなら、なぜ、各学校の要請に基づいて2〜3人の加配ができないのでしょうか。加配人員を確保するための議論は尽くされているのでしょうか。しんどい学校で指導にあたっている現場教師の要望に耳を傾けているのでしょうか。


排除せざるを得ない仕組みのスパイラル

 このまま、現場での人員確保が難しければ、教師が学校内での指導に見切りをつけて、問題行動のある子どもを「個別指導教室」という施設に送り出さざるを得ないかもしれません。しかし、授業が成立しないほど荒れる子が存在するのは、その子1人の問題でしょうか。彼らを排除すれば、問題行動の根は断たれるのでしょうか。
 いわゆる「授業評価アンケート」や学力テスト結果の学校別公開といった施策は、教師にとって「出来るクラス」を構築しなければならないという重圧になるでしょう。教師どうしが評価によって分断される中で、教師が、自分に有利な目先の成果にとらわれて教室を運営すれば、短期で成果の出せない子どもは疎外感を持つことになり、大きなストレスを抱えます。それが、荒れにつながることもあるかもしれません。あるいは、こうした教師自身のストレスが、恣意的な排除を選択させるかもしれません。そして、直接、問題行動が表出しない場合でも、「個別指導教室」という脅しと、成果を要求されることの重圧は、多くの子どもを委縮させるでしょう。
 その結果、順調に排除は進み、子どもたちは大人しくなるかもしれません。しかし、こうした一連の流れが、問題行動の本質に迫ることはありません。
子どもに寄りそう教育政策を

 子どもの問題行動は、対人関係の中でこそ表出するものです。多くの人と接する学校生活は、子どもにとっての社会です。社会を生きていくための勉強は、社会の中でしか出来ないのであり、その連続性を断つべきではありません。
 荒れる子どもたちに、学校が向き合うことができる環境をつくるためには、十分な人員配置や教師どうしの連携が必要です。同時に、保護者や地域との連携によって、見守る目を増やすことも大切だと思います。実際に、地域や保護者の助けも借りて、学校内に駆け込み寺的な「特別教室」を設けて、荒れる子どもと丁寧に向き合い、子どもが元の教室に戻っていくことができるよう支援している学校も存在します。
 子どもの問題行動には理由があり、その子に必要な教育があります。そして、1人の子の育ちは、周囲の子ともつながっています。私たち保護者は、問題を起こしたかどうかで子どもが分断されるのではなく、継続して同じ社会を築く仲間として育っていけるよう、子どもを支え、子どもに寄りそう教育政策を望んでいます。 

以上

 *要請と同時に発表された、住友剛さん(京都精華大学教授)のコメントは、こちら  






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